母と短歌、ときどきセカンドライフ ①「パンプスの音に込められた思い」

 颯爽とパンプスの音響かせて 我を追い抜く乙女のありき

 久しぶりに帰省し、居間に座ってビールでも飲もうと思っていたとき、ふと目に留まった柱の短冊。

 そこに書かれている短歌には、母の名前が入っていた。

 読んですぐに、その情景が目に浮かんだ。なぜか思わずその場で振り返ったくらいだ。

 「これ、お母さんがつくったと?」

 「そうよ、おかしいかね?」

 「いやいや……なかなかいいやん……何だか『サラダ記念日』を思い出したよ」

 もっとよい誉め言葉があったのかもしれないけれど、口に出たのは、俵万智さんの歌集。1987年(昭和62年)に河出書房新社から刊行されベストセラーとなった、現代短歌の先駆けだ。あのとき、私は高校生だった。日常で感じる小さな幸せを切り取った枠にはまらない歌の数々はすごく新鮮で、せつなくて、自由で、なんだか心に響いた。

そう考えると、母の歌を俵さんと比べることは、俵さんに失礼なのかもしれないけれど。

母が短歌を始めたのは、2000年(平成12年)、58歳のとき。市役所の文化スクールに入ってからだ。

そもそも、習いごとなど面白そうなことを自分で探しては「やってみよう!」とすぐにチャレンジする性質がある母は、知らないうちに自分で市役所便りやチラシなどを見て、自分で申し込んで参加している。それに、公共のスクールは値段が安い。今で言う「セカンドライフ」づくりには困らない性格かもしれない。

 私たちの子育て時期以外は、いわゆる“キャリアウーマン”として働いてきた母。バリバリの理系かと思っていたら、意外に文系で、“乙女”な一面もあるのかしら……。

「短歌の先生には、『あなたの歌、なんだか変わっているわね。ちょっとしゃれすぎじゃない』と言われるんよ」と言いながら、母はまんざらでもない感じだ。

 まあ、短歌(口語短歌)なんて、もっとも自由なものなんだから。

俵さんの本のタイトルとなった歌だって、「『この味がいいね』と君が言ったから7月6日はサラダ記念日」というものだ。

 さて、冒頭の母の短歌である。2009年(平成21年)に詠んだ歌だから、短歌を初めて9年ほど、少しこなれてきた時期に作ったものとも言える。そしてこれは、実際に体験したことらしい。

実は母は、短歌を始めた4年後の2004年(平成16年)、62歳の年に脳卒中(脳梗塞)を患い、左半身に麻痺が残った。昔のようには歩けなくなった自分、思うように体が動かせないもどかしさを日々感じながら生活している中で、後ろから来た若い女性が、自分を追い抜いていった一瞬の情景。働いていた頃は自分だって、仕事で気合いを入れるときなどにパンプスくらい履くこともあっただろう。運動が好きな母は、脚力にも自信がなくはなかったはずだ。しかし、今は自分の隣を若い女性がヒュッと風を切って通り過ぎていく。

「ハイヒール」という言葉を使わないあたりが、仕事人だった母らしい。だって、ハイヒールだったら、ガシガシ歩けないから……。それに、パンプスの音には、そのときの自分の気持ちが出るものだ。気合いが入っているときはコツコツと甲高い音が響き、気持ちが乗らないときはドスドスとざらついた音が鳴る。「颯爽と」なんだから、甲高い音なんだろう。そして、「乙女」。なぜ「彼女」でも「女性」でもないのか。

私は、この歌から「寂しい」という感じを受けなかった。昔の自分を思い出して「悔しいなあ」ではなく「あんな頃もあったなあ」と母自身が“乙女”だった頃をただただ懐かしく思う気持ち。脳梗塞を患って5年、諦めも超えて、時の流れの中にいる自分と過去の自分が一瞬重なり、「あの頃の美しい瞬間」が心をよぎったのではないかと思う。

ちなみに、「このパンプス、私は『赤』やと思うけど、違うと?」と母に聞くと、「それは、できすぎばい」と言われてしまった。

先日、母から、自分が作った「習作」が並んだ便箋を手渡された。そこには、母の「セカンドライフ」が詰まっている。それを手にした娘の私が、このブログで紹介していきたいと思う。

 

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