母と短歌、ときどきセカンドライフ ③「花なき庭の冬芽に感じる人生の”春“」

 春を待つ冬芽の姿いろいろに 花なき庭の楽しみとなす

 2026年が明けて1カ月が過ぎた。早いものだ。

歳を重ねるにつれ時間の流れを早く感じるようになる――飲み会での常套句だけれど、これには確か根拠があったはずだ。Webで検索してみたら『ジャネの法則』と出てきた。心理学的に説明されたそうだ。

 さて、母の短歌である。この歌は、母が短歌を始めた翌年の2001年(平成13年)が明けてすぐに詠まれたものだ。

花や草木が好きな母は、実家の小さな庭に育ついろいろな植物を季節ごとに楽しんでいる。この血は祖母譲りかもしれない。

祖母が住んでいた家には、母や父、孫と一緒に暮らすために増築するまでは、大きな庭があり、たくさんの花や草木が生きていた。真ん中にあった柿の木は毎年甘い実を食べさせてくれたし、梅の木は可愛い花で春を感じさせてくれたあと、その実は「砂糖漬け」と「焼酎漬け」となり私たちを喜ばせてくれた。スミレや芝桜、薔薇、紫陽花、向日葵、キキョウなどいろいろな花も楽しむことができた。そういえば大分の九重のスミレ、宮崎の高千穂のエビネといった旅行先からこっそり持ち帰ったものもあった。

小さな可憐な花が多かった。幼い頃はその庭を一人で歩き回ることが大好きだった。けっして英国調のガーデンでも、日本風の庭園でもなく、あくまで「おばあちゃんの庭」。祖母が手をかけて植物たちを育てる場所が心地よかったのだ。祖母は市役所が開いていた老人大学の「園芸学」も受講していた。私も何回か付いて行ったので覚えている。ガーデニングなんていう洒落た言葉がなかった時代、かなり専門的なことを学んでいた。子どもながらに、祖母のセカンドライフを間近に、目を輝かせて学ぶ祖母の姿を見て、「勉強することって楽しいんだな」と感じたことも覚えている。

今、実家の小さな庭にある花や草木は、母が苗を買ってきて植えたもの、山からこっそり持ち帰ったもの(「一人静」など……)、祖母の時代からあったもの、自然に生えてきたものなどが主だ。決して手入れがされているものではない。特に、母が脳卒中により体が不自由になってからは、年々、手入れが難しくなっている。

それでも花は咲き、草木は育つ。

実家に帰るたび、庭を見る。どんどん“自然のまま”になっていく。荒れているとは言いたくない。母は母なりに、日々庭の植物を育て、成長を見守りながら生活しているのだ。

 紹介した歌が詠まれたのは、母が病気を患う前。1月は暦の上では春。どんなに寒くても、新しい年を迎え心は春に向かってワクワクする。それは庭の植物を見ても感じるもの。「冬芽」には、楽しみが詰まっている。もうすぐ咲くであろう花をイメージすることは高揚感となる。還暦前だった母にとって、人生とも重なっていたのかもしれない。60歳を人生の「春」だと考えることは悪くはないなと思う。となると、私自身も今、「冬」にいる。冬芽とは、秋頃に生まれ冬を越して生長してくるものだという。私もあの頃の母のように、今を、春を心待ちにした準備期間にいるのだととらえよう。

マイナス二度の厳しき今朝の 庭隅(にわくま)に沈丁花のあたり温かさ生きる

冬の朝は寒いが空気が澄み渡って気持ちいい。「花なき庭」の「冬芽」にそこだけほっこりと温かさを感じたのだろう。

実家の庭には今も沈丁花が生きている。祖母の代からのものだ。この歌のとおり、庭の隅のほうにあるけれど、なぜか存在感がある。2月下旬くらいには甘く強い香りの花を咲かせ、「春の訪れを告げる」と言われる花木だからかもしれない。

母も祖母と同じく、小さくて可憐な花が好きだ。沈丁花の花もそう。まだ寒い時期に咲くから、何だか我慢強く清楚にも感じてしまう。花言葉は、栄光、永遠・不滅・不死。花の可憐さに似合わない言葉が並ぶけれど、「その先(春)への希望」を感じさせてくれる花木なのだから……。

実は、私の家の庭にも沈丁花がある。実家の沈丁花を挿し木した。実家よりさらに小さなこの庭に、その沈丁花はすぐについた。それから毎年少しずつ大きくなって、毎年芳醇な香りで「寒さもあと少し」と思わせてくれる。15年経ち、2本のうち1本は枯れてしまったけれど、もう1本には今年も、年明けすぐに濃い桃色と白色の花芽(蕾)がついた。あの頃の母と同じような気持ちで、今年もまた2月を迎えたのだ。「春まであと少し」と。

今年は、昨夏に新しく挿し木した2本の新木にも1つずつ蕾がついている。こうして祖母からつづく春への想いをつなげていく。

今年の新しい蕾。なんだかワクワクさせてくれます

昨年、満開となった沈丁花。香りが風に漂います

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